千家国麿の現在!典子さまとの別居理由や子供・離婚の噂まとめ
出雲大社の権宮司である千家国麿さんですが、元皇族の千家典子様の夫としても知られている人物となります。
この記事では、千家国麿さんの経歴や典子さまとの結婚の馴れ初めに加えて、別居理由や子供、そして離婚の噂など現在をまとめました。
千家国麿のプロフィールと生い立ち
千家国麿(せんけ くにまろ)
生年月日:1973年9月2日
出身地:島根県出雲市
千家国麿が権宮司を務める出雲大社とは?
日本最古の歴史書「古事記」にその創建が記載されている出雲大社ですが、現在は縁結びの神や福の神として有名となっています。
島根随一の観光スポットである出雲大社には、初詣期間だけで60万人もの人間が訪れると言われている他、60年ぶりの大遷宮が行われた2013年には、年間で804万人もの参拝客が訪れたことでも話題となりました。
08年5月に行った島根県出雲市の出雲大社⛩。縁結びの神様で有名な神社⛩。当時オジさんも独身で「自分で努力して動くので、ご縁があります様に」とお願いしたのを覚えています。そのお陰⁉️か、お参りしてから4年後位に嫁さんと出会って、約5年後に30代ギリギリで結婚出来ました。 pic.twitter.com/3paWRga7Ev
— 旅好きなライダーおじさん (@nakekenken) March 28, 2020
神前式場としても人気を博している出雲大社では、1989年に歌手の沢田研二さんと女優の田中裕子さんが挙式した他、プロ野球選手の和田毅さんやお笑いコンビ「ニッチェ」の江上敬子さんも神前式を挙げています。
ちなみに、一般人が出雲大社にて、両家の親族・友人のみ(20名程度)で結婚式を挙げる場合では、50万円前後の費用がかかるようですね。
千家国麿、天穂日命の子孫だった
千家国麿さんといえば、 天照大神の次男・天穂日命の子孫であり、代々出雲国造を務めている千家家の長男として生まれて来ています。
日本神話の代から続く名家である千家家ですが、戦前は男爵の爵位を得ており、旧華族の一員でもありました。
出雲大社の宮司の地位を世襲して来た千家家でしたが、近代以降になると政治家として台頭する人間も出現しており、明治・大正期に活躍をした千家尊福さんなどは、東京府知事や埼玉県知事を歴任した後、司法大臣まで務め上げました。
千家さんの父・千家尊祐さんに関しても、出雲大社の宮司の他に、全国の名門社家の親睦団体である「永職会」の会長を務める実力者となっています。
千家国麿、国学院大学卒業後は乃木神社や石清水八幡宮に赴任していた
地元の中堅校である島根県立大社高校を卒業後の千家国麿さんは、家業である出雲大社の宮司職を引き継ぐために、 國學院大學文学部神道学科へ進学することになりました。
大学時代の千家さんに関しては、まろやかで人当たりの良い性格をしていたため、友人間では「こくまろ」のあだ名でお馴染みだったようですね。
名家の御曹司となる千家さんでしたが、講義中に居眠りをしたり、バイク好きで仲間と一緒にツーリングに出かけたりするごく普通の男子大学生でした。
大学を卒業後の千家さんについては、 乃木神社や石清水八幡宮の神職を歴任後、2005年3月に出雲大社に赴任して来ています。
社会人になって以降の千家さんは、趣味がカメラやバードウォッチングと文化的な方面に変わって行ったようですね。
千家国麿、母親も旧男爵家の令嬢だった
千家国麿さんは、母方の家系も名門となっています。千家さんの母・礼子さんの実家に関しては、島根県出雲市内にある日御碕神社の宮司を代々務めている小野家だそうで、戦前は男爵の爵位を受けた華族でした。
ちなみに、礼子さんの父・小野勝彬さんなどは現役の男爵だった時期もあったようですね。
千家国麿と高円宮家次女・典子さまの馴れ初めから結婚まで
千家国麿、2014年に高円宮家次女・典子さまと結婚
千家国麿さんは、 2014年10月に典子さまと結婚しています。
高円宮憲仁親王と憲仁親王妃久子さまの次女として生まれて来た典子さまは、千家さんより15歳年下となっており、学習院大学文学部を卒業後は就職をせずに公務を中心に活躍をしていました。
2人の結婚式については出雲大社で挙げており、島根県松江市内のホテルで行われた披露宴には、両家の親族や友人の他に元EXILEのHIROさんも参加していたようですね。
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